継続する意志
「始めた記憶がないからやめ方がわからない」
かっこよすぎやろ。
と、賢太郎さんのサイトを見て思いました。記録。
私なんて始めた記憶ばっかりですよ笑
全部、意識的に「あれやろう!」「これやろう!」って思ってはじめて、完結しないこともたくさん。いや、完結しないことのほうが多い。
だからこそ、ね、続けることっていうのがすごく難しくて大切なことなんだろうなと思います。
また堤くんの話をするけど(勝手にごめんよ)、彼とは大学時代に話したとき、好きなアーティストや好きな映画が似ていて、感性が近いのかなーなんて嬉しくなったこともありました。
けど、私は「好き」で終わっていて、彼はそこから自分なりの形を求めて、それを形に残しているという……
まじで、すごい。
尊敬します。
大学時代もすごいなーって思っていたけど、年を経て改めて思う「すごいなー」は格段に敬意がプラスされております。
当たり前だけど、私にはできない、しようとする体力もない。
いやそれをしないことが悪だと言っているのではなくて、私は私なりの答えを探しているのでそれでいいんだけど、つまり、堤くんがすごい、という話です。
そして「形にする」「完成させる」ということの難しさ。
これってもう…本当に、信念とか真摯な想いがなければできないことなんじゃないかと思うのですよ。
でも世の中、形であふれている。
それぞれのものに「完成」を与えた人がいるわけですね。
すごいことだ。
生みの苦しみを感じながら、思うのです、終わりがないなあと。
設計課題のときもよく言ってました。
こだわり続けるとキリがないと。
私が尊敬するお友達に、アクセサリーを作っているジャミさんという方がいらっしゃいますが、ジャミさんとも同じような話をしたなぁ…
けど彼女は私なんかとはレベルが違っていて、毎回ものすごくツボをついた完成品を届けてくれます。
まぁ、そりゃ、追い求めてきた年数も場数も違うんだけど、やっぱりすごい人はすごいのですよ。
それをね、えーと
そのへんのことをね、
「センスがあるから」
の一言で片付けるのは違いますよね。
だからって努力でどうにかなるのかって言われると何とも言えないけどさ笑
賢太郎さんの言葉を読んでいると、ふと、このへんまでいろいろ考えてしまいました。
始めた記憶がないくらいに、当たり前にずっと好きなことをやってきた彼。
私には好きなことが多すぎて、しかも「あえて」やろうとしてからしか動けないけど、まぁ、やらないよりはいいのかなって思うので、これでいいんだと思います。
そしていつの日か、「気づくとそばにあった」みたいに言えるくらいまで(笑)続けていけたらいいなー。
何を?
うん、それすらはっきり答えがないもんね(笑)
ないなら探す!
とにかく今やりたくてやってる数々のことを、可能な限り続けてみようと思います。
深夜のながーいもの思いでした。